神戸地方裁判所明石支部 昭和61年(ワ)161号 判決 1990年10月08日
主文
一 被告らは原告美智子に対し、金一〇七四万二八〇八円及びこれに対する昭和六〇年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは原告良之、同いつ子に対し、それぞれ各自金五三七万一四〇四円及びこれに対する昭和六〇年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。
三 原告らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの、その余を原告らの負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
理由
第一 請求
一 原告美智子
被告らは同原告に対し、各自金三〇六二万六六六九円及び内金二八六二万六六六九円に対する昭和六〇年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告良之
被告らは同原告に対し、各自金一六三一万三三三四円及び内金一五三一万三三三四円に対する昭和六〇年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告いつ子
被告らは同原告に対し、各自金一四三一万三三三四円及び内金一三三一万三三三四円に対する昭和六〇年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、脳挫傷で死亡した者の遺族が、救急医療を行なつた病院及び担当医師に対して、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実
1 被告ら
被告誠仁会は医療法人であり、被告河村を雇傭していた。
2 亡谷本健治の受傷
亡谷本健治(以下「亡健治」という)は、昭和六〇年一二月二三日午後九時二〇分ころ、受傷した(以下「本件受傷」という)。
3 亡健治の被告病院への搬送
亡健治は、原告美智子に同行されて、昭和六〇年一二月二三日午後九時五五分ころ、被告誠仁会協和病院(以下「被告病院」という)に搬送された。
4 亡健治の吉田病院での治療
亡健治は、同月二四日午前一一時一二分ころ、医療法人栄昌会吉田病院(以下「吉田病院」という)に搬入され、多発性脳挫傷、急性硬膜下血腫に基づく脳幹部障害との診断を受け、午後〇時四八分ころ、開頭血腫除去手術を受けた。
5 亡健治の死亡
亡健治は昭和六一年九月二三日死亡した。
二 争点
1 被告河村の過失の存否
(一) 原告らの主張
同被告は、頭部外傷の救急患者が搬入されたとき、1 患者あるいは付添の者から、くわしく事故の状況を聞くべき義務があるのに、これを怠り、2 右事情聴取を踏まえあるいはこれに併せて、医学上必要とされる救急処置、神経学的検査、レントゲン検査等による補助診断、十分な経過観察を行い、早期に血腫形成の可能性を判断し、かつ、被告病院には、右血腫の存否を発見する最良の手段であるCTスキャンがなかつたのであるから、右設備を有する病院へ転医させるべき義務があるのに、これを怠り、亡健治の頭部における血腫の形成可能性の予測もしくは発見ができないまま、同人を帰宅させ、また3 同人を帰宅させるのであれば、今後注意すべき症状、経過観察の方法及び患者に注意すべき症状が出た場合の応急措置等につき具体的かつ適切な指示説明をなすべき義務があつたのに、これを怠り、「こぶだけだから寝かせておけば治る」とだけ説明して帰宅させた過失により、同人の頭部血腫を看過した過失により、同人に対し、医療機関における適切な治療を受けさせる機会を奪い、四肢麻痺、体幹部麻痺等のいわゆる植物状態を経て、死亡に至らしめた。
(二) 被告らの主張
被告河村は、左記のとおり、十分な診療措置をとつたものであり、過失はない。
(1) 問診
同被告は、原告美智子から、後頭部を打ち、嘔吐はなく、意識障害もなかつたと説明を受けた。
(2) 診察
同被告が亡健治を診察したところ、頭部の外傷、出血、頭部腫脹、耳漏、鼻漏、四肢の運動麻痺等の異常はなく、呼吸状態、脈拍及び瞳孔の対光反射も正常であり、亡健治は、状況判断ができ、意職清明で、意識障害もなかつた。
(3) 指示説明
同被告は、亡健治に脳挫傷を疑わしめる所見もないうえ、診察に非協力的で帰宅の意思が明瞭な状態であつたから、入院による経過観察の必要を認めず、原告美智子に対して、帰宅後様子を見て、頭痛、嘔吐があれば連絡するように指示説明して、帰宅させた。亡健治は診察後歩行して帰つた。
2 被告河村の過失と死亡との因果関係
(一) 原告らの主張
亡健治は、被告病院に搬送された当時、極めて高い意識清明状態を示していたのであるから、同人の脳挫傷はまだ存在せず、または存在しても極めて軽微なものであつたと推定されるから、適切な診察により診断され、早期のうちに緊急開頭手術が施されていさえすれば、急性硬膜下血腫の患者の救命率は極めて高いので、同人は死亡せず、また植物人間化することなく、その健康が快復されたことは明らかである。
(二) 被告らの主張
仮に被告河村に過失があつたとしても、亡健治は、本件受傷時六〇歳という高齢にあり、多発性脳挫傷による脳内血腫と硬膜下血腫を併合し、頭蓋内圧が急速に亢進し、受傷後五時間以内には昏睡状態に入つた、重度の頭部外傷患者であつて、その予後は極めて悪く、過去の統計数値からみて、その救命率は五〇パーセントをかなり下回る状態にあつたから、被告河村に過失がなく、適切な措置を講じたとしても、その結果には大差はなかつたと考えられるから、右過失と亡健治の死亡との間に相当因果関係はない。
3 被告誠仁会の債務不履行もしくは不法行為責任の存否
(一) 債務不履行責任(民法四一五条)
(二) 使用者責任(民法七一五条一項)
4 損害
第三 争点に対する判断
一 被告河村の過失
1 事実経過
(一) 《証拠略》によれば、左記事実が認められる。
(二) 認定
(1) 亡健治は大正一四年二月二〇日に生まれた。
(2) 被告病院は、昭和五六年一二月一日設立され、内科、外科、婦人科及び小児科を診療科目とし、ベッド数九九床(内集中治療室七床)を有し、当初から救急指定を受けて、夜間医師一名、看護婦四名で救急治療に当たつてきた。なお、同病院にはCTスキャンは設置されておらず、また脳外科の専門医がいないので、開頭手術を要する患者は専門病院に転医措置を講ずることとしてきた。
(3) 被告河村は、昭和三九年神戸医科大学を卒業し、腹部内臓外科を専門とし、被告病院の前記設立以来外科医として勤務している。
(4) 亡健治は、昭和六〇年一二月二三日午後九時ころ帰宅し、晩酌しながら水炊きの夕食を摂つた後、就寝のため二階寝室に行こうとして、同日午後九時二〇分ころ、階段を上がりかけたところ、転倒して、ごろごろと数段転げ落ち、一階玄関口付近の石の床にどんと音を立てて頭部を打ち、仰向けに転倒したまま動かなくなつた。
(5) 原告美智子は、亡健治の事故後の状態にただならぬものを感じ、ただちに神戸市西消防署に電話連絡し、同署の救急隊員は、同日九時二八分ころ、同原告方に到着し、前記場所に倒れたままになつたまま、酔つたような感じで横臥し、歩行できない亡健治を担架で救急車に乗せ、同原告を同乗させて、同三六分ころ、協和病院に向けて出発し、同五五分ころ、同病院急患用入口近くの救急処置室に担架で搬入した。
(6) 被告病院の当直医であつた被告河村は、四階の医局において会議中であつたが、右搬入直後に看護婦から電話連絡を受けて、右処置室にエレベーターで下り、ただちにベッドに横臥したままの亡健治の診察を開始した。原告美智子は、診察に取り掛かつた同被告に対して、「階段から誤つて落ち、下が石のところへどすんと大きな音を立てて落ち、頭を打つています」とくりかえし説明をしたが、同被告は、亡健治の呼気から酩酊状態にあると判断し、他にはとりたてて同原告もしくは亡健治に質問しないまま、同人につき、全身状態のほか、頭部触診、脈拍及び瞳孔を数分間診察した後、後頭部に顕著な外傷もしくは腫脹を認めないうえ、同人が診察中終始漠然と発語しており、瞳孔にも対光反射その他に異常がなく、脈拍も良好であつたことから、意識状態は清明(ランソホッフ改変による意識レベルI1のaの程度)であると見て、脳挫傷の可能性はなく、病院外で待機中の技師を呼び出してまでレントゲン検査をする必要はなく、また入院による経過観察の必要性もないと判断し、原告美智子に対して、大丈夫だから、連れて帰つて、寝させておいたら治る旨説明して、退室した。亡健治は、その直後、同原告に「ここはどこや」と尋ねた。
(7) 同被告は、泥酔して階段から転落した場合、骨折の可能性が高いこと、急性硬膜下血腫の場合、意識障害の進展程度として、清明期は約三〇分から五、六時間継続し、その後に意識障害が発現すること、清明期中の診察だけでは血腫の可能性を判断することはできないこと、経過観察は自宅よりも病院でする方がよいとの一般的認識を有している。
(8) 被告河村は、右診察後、カルテに「午後9時55分救急車で来院。泥酔して階段を5ー6段転落。対光反射敏速に反応。応答可。特記すべき所見なし。」旨記載した。
(9) 救急隊員三名は、亡健治の受診を見守つた後、亡健治が入院しないで帰宅することとなつたので、原告美智子に帰宅の便を確かめたところ、同原告が自家用車で連れ帰る旨答えたので、処置室に寝たままの亡健治を残して、同日午後一〇時ころ退去した。
(10) 亡健治は、同日午後一〇時ころ、右処置から歩行して、原告良之の車に乗つて帰宅した後、自宅一階座敷に寝たが、翌二四日午前零時ころ、嘔吐し、後頭部に激しい頭痛を訴え、しばらくして就寝した。同日午前二時ころからいびきをかき、呼んでも応答のない状態となつたが、原告美智子は、亡健治は寝込んだものと考え、寝させたら治るとの被告河村の前記説明を信じて、そのまま就寝した。(なお、原告美智子は、亡健治につき帰宅後間もなく前認定の症状が出た旨供述するが、乙三の記載に照らし、信用できない。)
(11) 原告美智子は、同日午前一〇時ころ、亡健治の起床が普段より遅いことに不審を抱いたところへ、原告良之が亡健治の失禁に気づいたため、異常発生を確知し、同二〇分ころ、西消防署に電話連絡した。
(12) 西消防署は、右電話連絡を受け、同三一分ころ原告方に到着し、いびきをかき昏睡、徐呼吸の状態にある亡健治を乗せて、同三六分ころ出発し、酸素吸入を実施しながら走行して、救急指定病院である吉田病院(神戸市兵庫区新開地二丁目一の一六)に同一一時一二分に到着した。
(13) 同病院の救急医療担当医師福森豊和(脳神経外科専門)が、当初担当の診察医から亡健治の診察を受け継いだ当時、同人は、昏睡状態(三三九度方式の3の三〇〇)、瞳孔不同(右眼散大)、徐脳硬直、呼吸障害の症状を呈していた。そこで、同医師は、すでに脳ヘルニアが形成されており、呼吸障害もこれに起因すると判断して、ただちに気管内挿管のうえ、午前一一時三〇分ころ、CTスキャンを行なつた結果、多発性脳挫傷、硬膜下血腫に基づく脳幹部障害の診断を下して、緊急開頭手術の施行を決定した。同医師は、右所見から亡健治の予後は極めて不良(死亡の可能性九〇パーセント、救命しても植物状態)と予測して、原告美智子には、手術をしてもおそらく助からないだろうと述べた。右CTスキャンにより左記所見が得られた。
1 血腫の状態
亡健治の右前頭葉及び右側頭葉には血腫様のものが、右半球表面には硬膜下血腫がそれぞれあり、これらの血腫のため脳全体が左方向に移動していた。
2 脳浮腫
脳ヘルニアが完成しかけている状態にあつた。
3 骨折
右側頭蓋骨に線状骨折の存在が認められた。
(14) 亡健治の手術は、前記搬入後約一時間半経過した午後〇時四八分ころ、福森医師が助手を務めて、松本某医師が執刀した。同医師は、開頭後、硬膜下血腫及び脳内血腫の部分を除去したほか、減圧のため、脳内血腫部以外の脳の一部を切除した。
(15) 福森医師は、右所見及び手術内容から、亡健治の脳内血腫及び硬膜下血腫は、受傷時に脳自体を強打したことから出血し、出血が出血を生む形で、悪化したものと判断している。
(16) 亡健治は、手術後、四肢麻痺、体幹機能障害及び遷延性意識障害の症状を呈したまま、半ばいわゆる植物状態となつて、一時自発的に開眼することができるようになつたのみで、改善しないまま推移した後、昭和六一年九月二三日、吉田病院において、脳挫傷及び急性硬膜下血腫に起因する肺炎により死亡した。
(17) 吉田病院の場合、夜間(午後九時から午前九時まで)の手術体制は、少なくとも医師、レントゲン技師(CTスキャンも担当)各一名、看護婦三名を要し、病院外待機中の者の呼び出しをも必要とするので、昼間の倍近くかかるのが通例である。
2 判断
(一) 被告河村の過失の存否
(1) 亡健治の受傷
前記認定事実によれば、亡健治は、昭和六〇年一二月二三日午後九時二〇分ころ、右側頭部を強打し、頭蓋骨の右側を骨折するとともに、脳内損傷を受け、その頃脳内出血が開始して、硬膜下血腫の形成が始まつたこと、右受傷当時一旦は脳振盪により意識混濁の状態(その程度は不明)になつたものの、被告病院での受診当時は、一応意識清明の状態にまで復していたことが認められる。
(2) 硬膜下血腫の機序及び診療
1 硬膜下血腫の機序
ア 硬膜下血腫の機序は、一般的には、血腫により、脳の偏位が始まり、次に血腫が広がつて、運動領などに局所圧迫を加え、それにつれて、次第に頭蓋内圧が亢進し、頭痛、嘔吐が発症し、片麻痺が出現しはじめるとともに、鈎回ヘルニアが形成されはじめ、動眼神経麻痺、意識障害が発生し、放置すれば亜脳ヘルニアを経て、脳ヘルニアが完成する。右脳ヘルニアの形成につれて、意識障害が進行し、ついには昏睡に陥り、徐脳硬直を経て、死に至る。また、血腫の原因となる外傷は硬膜外血腫よりも重篤なものが多く、成人ではしばしば高度の脳挫傷を伴つており、右病態進行の速度と予後は、主として受傷時の衝撃の強さによつて、決定される。
イ 血腫の形成時期はさまざまであり、CTスキャン導入後、外傷直後に発生するものから外傷数日後に発症するものまで、種々の態様があることがわかり、その出血の機序も異なつていることが報告されはじめている。
ウ 意識障害について見ると、受傷による脳振盪を原因とする意識障害の後に意識清明期を認めるものと、外傷直後には意識障害がなく、血腫が一定容積に達して初めて意識障害が発生するものがあるが、脳の損傷が重いときは、当初から意識障害が発現し、意識清明期は介在しない。硬膜下血腫の患者の約三分の二がこれに該当する。
エ 骨折について見ると、急性硬膜下血腫のおよそ八〇ないし九〇パーセントが頭蓋骨骨折を伴い、右骨折の位置及び状況次第では、レントゲン検査では骨折の存否を判定することが困難な場合も少なくないが、骨折があれば、必ずそれに一致して皮膚の損傷や皮下血腫に加えて、圧痛等の症状をみとめることができると報告されている。
2 硬膜下血腫診断の要諦
硬膜下血腫の典型的症状と考えられるものは、常にすべてが当初から発現するものではないこともあり、臨床症状だけで診断を下すことは必ずしも容易ではない。したがつて、急性硬膜下血腫の治療の要諦は、硬膜下血腫の臨床症状を常に外傷時よりの時間の経過で正確に把握し、各症状の時間的推移をとらえるとともに、脳ヘルニアの症状を早期に発見することにある。可能ならば、脳浮腫改善剤(グリセオール、マンニトール等の高張液)により、脳内の水分を減少させることによつて、脳圧の亢進を一定期間とどめることにより治療するのが望ましいが、右治療法では間に合わない場合もある。その場合、手術の是非は、経過観察等の諸診断に基づく専門的な判断にかかるが、手術施行前に、CTスキャンにより血腫の状況を正確に把握しておく必要がある。また良好な予後を期待するためには、脳ヘルニアが完成する前に、迅速に手術による血腫除去を行ない、合併している脳挫傷に対しても、それに由来する脳腫脹に対する治療と、損傷組織の代謝性アシドーシス、代謝中間物質による脳障害の誘発を防ぐことが肝要である。
(3) 被告河村の過失の存否
1 被告病院は、救急車で搬入された亡健治につき、右搬入を受け入れ診療を引き受けた時点において、同人との間には診療契約を締結し、同被告及びその担当医師である被告河村は、その当時における医療水準において相当な診療を行なうべき義務を負担するに至つたと認められるところ、同被告は、前認定の内容の診察により、亡健治が脳損傷を受傷している可能性はなく、同人の頭部打撲症は自宅での安静療養のみで快癒すると判断して、帰宅させたことが認められる。
2 そこで、同被告の右診療及び判断につき、過失の存否を考える。
ア 診察方法
まず、同被告が行なつた診察内容につき検討するに、前記認定のとおり、同被告は、亡健治の全身状況の視診及び触診、瞳孔の対光反射、脈拍の各検査を行ない、右診察によつては、同人に異常を認めなかつたことが認められる。右診察内容はいずれも頭部打撲症及びそれに起因する脳損傷の存否を判定するためにまず行うべき診察行為として、ひとまず相当であつたと言うべきである。(ただ、頭部触診については、同人には現に骨折が存したのであるから、前判示のとおり、骨折があつた場合、当然外傷または皮下出血の併存が認められることを勘案すると、同被告が行なつた頭部触診は不十分であつたか、もしくは若干の意識障害または酩酊のため、亡健治において、圧痛を感じず、あるいは感じてもそれを訴えることができなかつた疑いが残る。)
原告らは、同被告は、亡健治につきレントゲン検査及びCTスキャン設備のある病院への転医措置を講ずるべきであつたと主張する。まず、レントゲン検査については、右検査によつて判明する事実は、頭蓋骨骨折の存否のみであり、しかも骨折の状態次第では、その存在さえ判定できない場合もあること、骨折の存否と脳損傷とは必ずしも対応しないので、骨折の存否は脳損傷の存否の判断を直接決定する主要要因の一つであるとは言い難いことを考慮すると、右検査はあくまでも脳損傷判定のための補助手段に過ぎず、右診察時点において脳損傷を疑うべき症状は発現していなかつたのであるから、同被告において、ただちに右検査まで行なうべきであつたと言うことはできない。
そうすると、CTスキャンについても、同様に、まだその検査を必要とする段階には至つていたとは言い難いと解するのが相当である。
イ 問診
被告河村は、原告美智子から、前認定の説明を受け、亡健治が酩酊状態にあると判断しながら、同人及び同原告からそれ以上の問診を行わなかつた。しかしながら、同被告は、右説明により、脳損傷の発症が十分疑われる事故概要の報告をうけたこと、救急車による搬入の事情ともあいまつて、本件受診が脳損傷の存否の診断を目的とするものであることを知悉していたこと、酩酊者が転倒した場合には、非酩酊者のように頭部を反射的に保護する行動を取りがたいために、非酩酊者よりも脳損傷の危険は高いと考えられること、頭部外傷及び骨折を伴わない脳損傷が存在すること、脳損傷、たとえば硬膜下血腫では、急性のみならず、亜急性のものも存し、その典型的症状(たとえば、嘔吐、頭痛、意識障害及び瞳孔不同)は脳損傷の病態の進展につれて順次発現するものであり、必ずしも当初から発現するものではないことなどを考慮すると、右脳損傷の存否を判断するためには、前判示の、時間的推移の中で刻々と病態が変化または悪化していく硬膜下血腫の機序に照らし、受傷当初の一時期における症状を診察するだけでは十分ではなく、受傷時から受診時に至るまでの時間及びその間の病態の変化を十分に把握して、現時点での症状を右時間的推移の中に位置づけて、考察する必要があると解すべきである。そうすると、同被告としては、現症状のみから安直に脳損傷の可能性を否定せず、亡健治の打撲の程度が容易ならざるものであつた可能性を顧慮して、脳損傷の危険をもひとまず疑うべきであつたと考えられる。
したがつて、医師としては、単に患者の現症状を診察するだけでなく、亡健治の年齢、既往歴、受傷時刻、受傷状況、受傷時の意識状態及びその後の意識状態の変化、他の諸症状の有無変化等につき、問診を尽くすべき義務が存在したと言うべきである。さらに、同被告は、同人が酩酊状態にあると判断したのであるから、同人の意識障害の存否程度を判断するにあたり、脳損傷による意識障害を酩酊状態と誤認することのないように、同人自身または原告美智子から、亡健治の飲酒量、飲酒時刻、摂取した酒類等の事情を十分に問診しておく必要も存在したと認められる。
なぜならば、仮に同被告が右問診を行なつてさえいれば、同被告は、亡健治が転倒の際頭部を強打している可能性が大であり、かつ受傷後まだ約半時間しか経過していないのであるから、同人が現在意識清明期にあることだけでは、同人の脳損傷の可能性を否定できないと考えて、今後の意識状態の変化等、病態の変化の有無を観察した上でなければ、同人の脳損傷の存否を判断することはできないとの結論に達したと考えられるからである。
そうすると、同被告は、脳損傷の存否を判断するにあたり、右判断に必要不可欠な基礎資料を問診により収集すべき義務があるにもかかわらず、これを怠つたと言うべきである。
3 説明義務
さらに、原告らは、被告河村が、亡健治の診察時の症状及び原告美智子の説明の下では、亡健治につき、入院の上十分な経過観察を行なうべきであつたのに、同人を入院させることなく、かつ脳損傷の可能性とその症状変化に対する適切な措置を説明することもないまま、帰宅させたと主張する。
これに対して、被告らは、被告河村が同原告に対して、診察後、頭痛嘔吐の症状が出れば、ただちに連絡するように説明した旨主張する。しかしながら、同被告自身、右説明を行なつた記憶はなく、いつもの習慣的な指示として、何か変わつたことがあれば、すぐに連れていらつしやい位は告げたと思うと供述するにすぎないこと、診療録にも右説明を行なつた旨の記載がないこと、同原告は、まさに脳損傷を危惧したからこそ、救急車を手配したのであり、仮に同被告から、脳損傷の危険がなお残存する旨告知され、その症状及び取るべき措置につき説明を受けたとすれば、帰宅後間もなく亡健治に異常が発現した際、ただちになんらかの行動に出たことは明らかであるにもかかわらず、いかなる措置も取らないで就寝した事実に徴して、同原告は、医学的知識に乏しい素人の哀しさ、同被告から説明を受けなかつたため、右異常が脳損傷の可能性を示唆する重要な症状であることに気づかなかつたと推認するのが相当であること、これらの点を考え合わせると、被告らの右主張事実を認めることはできず、むしろ前認定判示のとおり、同被告は、脳損傷の可能性はないと判断して、同原告に対して、寝かせておけば治る旨の説明をしただけで、叙上のような説明を一切行なわないまま、亡健治を帰宅させたことが認められると言うべきである。
もつとも同被告が診察した当時、亡健治には直接脳損傷の疑いを惹起させるような症状はなかつたことが認められる。しかしながら、同被告が右状態からただちに、亡健治につき脳損傷の可能性はないと判断したことが速断に過ぎたことは前判示のとおりであつて、硬膜下血腫に限らず、広く脳損傷の場合には、前判示のとおり、いやしくも脳損傷の可能性を疑うに足りる事情が判明している限り、患者の一時期における症状の観察のみから診断を下すべきではなく、存否の判断を下すに十分な時間、経過観察を尽くしてから、診断を下すべきであると思料される。
もつとも右経過観察は常に入院措置を講じた上で行われなければならないものではなく、頭部外傷等の診察時の症状の程度に応じて、入院措置を講ずることなく、適切な説明を行なつた上で、自宅での患者自身または看護者による観察に委ねることも相当な場合があり、また、右症状自体からは入院による経過観察が相当であるが、患者側の事情もしくは希望により、自宅での経過観察を選択するほかはない場合も考えられる。そこで、このような自宅での経過観察に委ねる場合、診療義務を負担する医師としては、患者自身及び看護者に対して、十全な経過観察を尽くし、かつ病態の変化に適切に対処できるように、患者の受傷状況及び現症状から、発症の危険が想定される疾病、その発症のメルクマールとなる症状ないし病態の変化、右症状ないし病態変化が生起した場合に、患者及び看護者が取るべき措置の内容、とりわけ一刻も早く十分な診療能力を持つ病院へ搬送すべきことを具体的に説明し、かつ了知させる義務を負うと解するのが相当である(医師法二三条)。
本件につきこれを見るに、同被告は、前認定のとおり、原告美智子から受傷状況の説明を受け、右説明内容は脳損傷の可能性を疑うに足るものであつたと考えられるから、診察時の症状のみから、脳損傷の可能性を否定すべきではなかつたことに加えて、同被告において、同原告がなんらかの医学的知識を有すると判断すべき事情はなく、同原告ら一般通常人が、種々の脳損傷につき、その機序もしくは症状に関する十分な医学的知識(たとえば、嘔吐、頭痛の併存が脳損傷の症候のひとつでもあること)を有していることは到底期待できないこともまた社会通念上もとより明らかであることを勘案すると、本件においては、同被告において、少なくとも原告美智子に対して、叙上のような説明を行なつて(本件においては、脳損傷の危険が想定され、かつ被告病院にはCTスキャンの設備がなく、脳損傷の手術能力もなかつたのであるから、右設備能力のある救急病院への搬送の指示も含むと考えられる)、経過観察の必要性を確知させるべき診療契約上の義務が存在したと言うべきである。
(付言すれば、仮に同被告が原告美智子に対して、何か変わつたことがあれば、すぐに連れていらつしやいと告げたとしても、前判示の説明義務の内容に照らして、想定される疾病がある程度限定されるにもかかわらず、指示内容が余りにも漠然としており、脳損傷の診療の緊急性を同原告に認識させる説明も含んでおらず、またCTスキャンもなく脳損傷の手術能力もない被告病院に連絡しても、同病院では元来十分な治療が期待できないのであるから、右連絡を受けても、前認定の症状から推して、即時診療能力のある他の病院への搬送を指示するほかはなかつたことは明らかであるから、時間の浪費でしかない右連絡の指示は無用と言うほかなく、右説明では前示説明義務を尽くしたことにはならないと言うべきである。)
したがつて、同被告には、右説明義務を尽くさなかつた過失が存在すると言うべきである。
4 結論
以上によれば、同被告は、診療契約により相当な診療を行なうべき義務が存在するところ、まず十分な問診義務を尽くさないまま、診察時における身体的状況の診察のみから、脳損傷の可能性はないものと判断したこと、次に、右状況下において、少なくとも経過観察の必要性が認められたにもかかわらず、亡健治を帰宅させるにあたり、十分な説明義務を尽くさなかつたこと、右二点につき過失があると言うべきである。
なお、同被告は、脳神経外科の専門医ではないが、右義務の内容は、脳損傷または硬膜下血腫につき専門外の医師においても、前判示の脳損傷一般に関する医学上の基礎知識から導きだされる診療義務の一部に過ぎず、また、同被告本人尋問によれば、右知識はすべて同被告が有する知識の範囲内にあつたことが認められる。
3 因果関係
被告らは、被告河村に過失があつたとしても、亡健治の植物状態もしくは死亡との間には因果関係がないと主張するので、以下に検討する。
(一) 仮に同被告が前記診療義務を完全に履行しておれば、亡健治の受傷状況をさらにくわしく知り、経過観察が必要であるとの判断に達した筈である。その場合、前判示のとおり、同人の現症状によれば、入院による経過観察までも必要とする事態にあつたとは言い難いから、自宅での経過観察に委ねることとなつたと考えられるが、同人及び原告美智子が脳損傷とその症状に関する医学的知識を有することはもとより期待できないのであるから、同被告の説明の核心は、1 脳損傷の可能性が残るので、今後亡健治の容態の変化を観察すべきこと、2 嘔吐または頭痛が生じた場合、ただちに被告病院に連絡するかまたはその程度が激しい場合脳損傷の診療能力を有する救急病院に即時搬送すべきことの二点になつたと解される。原告美智子が右説明を受けていたとすれば、遅くとも昭和六〇年一二月二四日午前零時ころには、亡健治の激しい嘔吐及び頭痛の併発に直面して、亡健治に脳損傷の症状が生起したことを確知でき(素人なればなおさら右結論に飛びついた筈である)、救急車の出勤要請を行なつて、おそらく吉田病院に搬入されることとなつたと推認される。そうすると、本件における同原告による二度目の救急車出動要請から手術までの所要時間及び夜間診療体制による遅延時間を考慮すると、遅くとも右要請から五時間後の同日午前五時ころ、手術に着手することができたと推認するのが相当である。
なお念のため、同被告が被告病院入院による経過観察を選択した場合を考えてみると、医師または看護婦による専門的観察により、原告美智子が確知するよりも早期もしくは少なくとも同時期に、脳損傷の症状の発現を知り得た可能性は大きいと考えられるから、その場合、同被告としては、ただちにCTスキャン及び夜間緊急手術が可能な病院に転医措置を講ずべき義務が発生したと思料される。そうすると、前記自宅観察の場合と同程度またはそれよりも少ない時間で手術に至ることができたと推認することができる。
そうすると、いずれにしても、本件受傷後約七時間四〇分後の九月二四日午前五時ころに手術に着手することができたのであるから、本件手術時である同日午後零時四八分ころより七時間四八分早く手術することができたこととなる。すなわち、仮に本件受傷直後から血腫の形成が開始されていたとしても、右形成の時間をほぼ半分に止めることができた。
(二) 因果関係の存否
(1) 被告らが因果関係を否定する主たる論拠は、亡健治が、当時六〇歳という高齢にあつたこと、多発性脳挫傷による脳内血腫と硬膜下血腫を併合し、受傷後五時間以内には昏睡状態に入つた、重度の頭部外傷患者であつて、過去の統計数値からみて、その救命率は極めて低かつたということにある。
(2) 硬膜下血腫の患者の死亡率は、1 脳損傷の程度(血腫の大きさ、随伴する脳損傷の程度、合併する他の頭蓋内血腫の有無、脳幹損傷の有無等)、2 手術時の昏睡の段階、3 血腫発生から手術までの時間、4 年齢等によつて左右されると考えられる。
まず右1及び2につき検討する。
本件においては、亡健治は吉田病院に搬入された当時、昏睡状態(三三九度方式の3の三〇〇)、瞳孔不同(右眼散大)、除脳硬直、呼吸障害の症状を呈しており、CTスキャン及び手術の結果、多発性脳挫傷による脳内血腫、硬膜下血腫が併存していたことが認められる。右症状は吉田病院搬入までの約一四時間における血腫及び脳挫傷の形成の結果であつて、亡健治は当初一旦は意識清明期まで回復したこと、受傷後約二時間四〇分経過したころから嘔吐、頭痛などの血腫形成による症状が現れたことに照らして、同人の脳挫傷は当初さほど深刻なものではなかつたが、いかなる治療もなされないまま放置されることによつて、当初の挫傷部分からの出血のみならず、血腫により進行を開始した脳挫傷部分からの出血が加わつて、血腫形成が増大し、かつ右増大につれて、脳挫傷その他の症状もまた加速度的に進行したと考えられる。そうすると、血腫及び脳挫傷の形成は、手術までの経過時間の前半よりむしろ後半において一層深刻化し、その結果として右搬入及び手術時の症状に至つたと推認するのが相当である。
亡健治は受傷約二時間四〇分後に嘔吐及び頭痛が発症したのであるから、前判示の硬膜下血腫の機序に照すと、受傷後間もなく開始した血腫形成が漸次増大して、次第に頭蓋内圧が亢進し、頭蓋内圧が亢進した結果、頭痛、嘔吐が発症し、さらに約二時間経過して、同人は昏睡状態に入つたと推認される。しかしながら、同人の当初の硬膜下血腫の程度はむしろ軽症であつたと推認されるから、昏睡の程度についても、いびきをかいて、呼んでも応答しない状態にはなかつたものの(どのような呼びかけを行なつたかは明らかでない)、原告美智子らにおいて、四肢麻痺等の不自然な身体状況を認識した形跡はなく、除脳硬直、四肢麻痺まで生起していたことを認めるに足る証拠はないので、まだ鈎回ヘルニアの初期にすぎず、昏睡1ないし2の程度に過ぎなかつたと解するのが相当である。
次に、右3については、前判示のとおり、遅くとも一二月二四日午前五時ころには手術に着手することができたのであるから、同被告に過失がなければ、本件受傷約七時間四〇分後、すなわち、本件手術よりも約七時間四八分早く着手できたわけである。
さらに、右4について見ると、確かに、年齢別死亡率につき、二〇歳以上六〇歳未満三〇パーセント台、六〇歳以上六〇パーセント台という統計値が報告されているが、一方では、年齢六〇歳以下の硬膜内血腫の予後には、年齢はほとんど影響がなく、年齢及び予後への全体的影響は、血腫が高齢患者にむしろ一般的であるため、説明が難しいとの論もあるうえ、一般的に、死生は、当人の無数の精神的身体的要因の複合によつて決定されることは言うまでもないから、個別事例の死亡の可能性を一般的統計によつて論ずることは慎むべきであると考えられる。また、植物状態となつた場合の長期生存は極めて稀であるとの報告が存在するのにかかわらず、亡健治が受傷後約一〇か月間生存した事実に徴しても同人の身体的条件は年齢に比して相当に良好であつた可能性もあり、亡健治の年齢が予後を増悪させた要素であつたことを認めることはできない。
なお、早期に手術を受けた急性硬膜下血腫患者の死亡率についても高い統計値が報告されている。しかしながら、早期に手術しなければならなかつたものは、合併血腫や、血腫の発育が急激であり、脳損傷の発生を伴い、脳腫脹の著しい場合であり、また死亡に至つた事例の多くは早期に重度の昏睡に至つたものであると考えられるから、右死亡率は死亡者に重症型が多いことを意味するにすぎず、ここでもまた、一般的統計値をもつて個別的事例を論ずる危険が指摘されなければならない。また、昏睡状態に陥つたものがすべて死亡または植物状態に至るとは限らないことに徴して、右死亡率のみによつては、亡健治が午前五時ころに手術された場合、同人が快復しえた可能性を否定することはできないと言うべきである。
(3) 以上によれば、被告河村の過失がなかつたとしても、亡健治は死亡もしくは植物状態を免れなかつたと言うことはできず、被告らの主張を採用することはできない。むしろ前認定判示によれば、亡健治につき、遅くとも一二月二四日午前五時ころに手術に着手することができ、かつ右時点においては、硬膜下血腫の症状もまだ快復不能なまでに増悪してはいなかつたと解する余地が多分に存在すると考えられるから、右過失がなかつたとすれば、亡健治は死亡もしくは植物状態に至らないで済んだ蓋然性は高いと言うべきである。
4 結論
以上によれば、被告河村の前認定の過失と亡健治の植物状態及び死亡との間には因果関係が存在すると言うべきである。したがつて、同被告は、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
三 被告誠仁会の責任
以上によれば、被告誠仁会についても、被告河村と同様、債務不履行に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
四 損害
1 身分関係及び相続
《証拠略》によれば、原告美智子は亡健治の配偶者、その余の原告らは同人の子であり、同人の死亡により、原告美智子は二分の一の、その余の原告らは各四分の一の法定相続分により、亡健治の権利義務を相続したことが認められる。
2 慰謝料を除く損害額
(一) 治療費 二六万三六四〇円
《証拠略》により認められる。
(二) 付添看護費 一一三万九九六〇円
《証拠略》によれば、亡健治は、昭和六〇年一二月二四日から昭和六一年九月二三日まで二七四日間入院したが、右期間中終始、昼夜を通しての完全な付添看護を要したこと、当然ながら同原告一人では右看護を全うすることができず、そのうち一六六日間は看護補助者に看護を依頼し、その費用として合計一一三万九九六〇円を要したことが認められる。
(三)室料その他 四八万四〇〇〇円
《証拠略》によれば、亡健治の入院中の一時期、その診療上の必要から個室を使用し、その差額負担料として合計四八万四〇〇〇円を要したことが認められる(診断書料を含む)。
(四)入院雑費 二七万四〇〇〇円
前記入院期間中の入院雑費は、一日当たり一〇〇〇円と認めるのが相当である。
(五)逸失利益
《証拠略》によれば、亡健治は、原告良之の経営する寿司よしの従業員として年収一六九万円、国民年金として年三六万一五六六円、農業者年金として少なくとも年四九万九六〇〇円、合計二五五万一一六六円の収入を得ていたことが認められるから、右年収から新ホフマン係数により中間利息を控除して、逸失利益の本件受傷時の現価を計算すると一六八〇万九六三二円となる(円未満切捨)。
2、551、166×6.589=16、809、632
3 被告河村の過失と相当因果関係にある損害額の算定
そうすると、亡健治の慰謝料を除く損害の総額は一八九七万一二三二円となる。しかしながら、亡健治の受傷はいわゆる過失による自傷行為であり、かつその傷病の中心である硬膜下血腫は、かりに被告河村の過失がなかつたとしても、前認定の症状に照らし、極めて重篤であり、その治療には相当の日数を要したことは明らかであり、またなんらかの後遺障害が残存した蓋然性も否定し難い。しかし一方では、右過失がなかつたとすれば、手術の結果次第では同人が死亡したり植物状態となることもなく、また、前認定の損害の一部(とくに逸失利益)は発生せずあるいはさらに低額にとどまつた蓋然性もまた否定できない。これらの点を勘案すると、被告らは、右損害の五〇パーセントに相当する九四八万五六一六円につき、損害賠償の責任を負担すべきである。
4 慰謝料
被告らは、被告河村の過失によつて、亡健治が植物状態を経て死亡に至つたことによつて、亡健治及び原告らが蒙つた精神的損害に対し、慰謝料を支払うべきである。もつとも前判示のとおり、被告河村の過失がなかつた場合に、亡健治の傷病がどの程度にとどまつたかを判定することはできないが、右過失がなければ、亡健治が死亡せず、傷病の程度も一層軽度なものにとどまつた蓋然性は極めて高いと言うべきである。その他本件諸般の事情を総合すると、被告らは、亡健治につき六〇〇万円、原告美智子につき二〇〇万円、その余の原告らにつき各一〇〇万円を支払うべきである。
5 弁護士費用
本件諸般の事情を考慮すると、弁護士費用として、原告美智子につき一〇〇万円、その余の原告らにつき各五〇万円が相当である。
6 結論
以上によれば、被告らは、主文掲記の各金額及び弁護士費用を除く主文掲記の金額に対する、債務不履行の日である昭和六〇年一二月二三日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。
(裁判官 三谷博司)